(今回の「アイキャッチ画像」は、向ひなのさんに描いていただきました!)
千葉県柏市で、地元に伝わり今も残る「昔話」は40を超えるそうです。
一つの市でここまでたくさんの「昔話」が残っているのは、伝えられていた話をずっと昔の方が一冊の本にして代々残していたからだといいます。
現在は、昭和60年に柏市教育委員会が発行した本によって語り継がれていて、昔話自体は現在、柏市のホームページで見ることが出来、柏市観光協会でも今後情報発信に取り組んでいくそうです。
そんな身近な地元の昔話を読んで、今回は、実際のお話に出てくる人の子孫の方に話を伺うことができました!
「とったり庄兵衛」かんたんに
昔の逆井の地に「庄兵衛」さんという腕っぷしが強くて心の優しく働き者の青年がいました。
近くの野馬が暴れて野間土手を超えて村に入ってくると、村の人は庄兵衛さんを呼びにいき、庄兵衛さんは荒っぽい野馬達をおとなしくさせるのでした。
ある日、一帯をおさめる代官様が数十年ぶりに「野馬どり」といって、牧の元気な馬を捕まえる大会が開かれることになり、村人たちは他の若い衆とともに庄兵衛さんを出場させます。
最初は出場を渋っていた庄兵衛さんでしたが、いざ出てみると、圧倒的な活躍で場を沸かせました。
そして、この日一番野馬を捕まえたのは庄兵衛さんで、代官様から「捕手(とったり)」の役を正式にもらい、村では庄兵衛さんを「とったり庄兵衛」と呼んで尊敬されていました。
「とったり庄兵衛」子孫の方との出会い
私(筆者)は、柏市の昔話を追いながら、増尾地区から逆井地区をウロウロしていました。
「狐いっぴょ」「鷲山のむじな」「法林寺の大いちょう」「力石」「でいだらぼっち」・・・。
ちょうど「法林寺のおおいちょう」の話を追いながら法林寺のご住職を兼務されている観音寺様を訪ね、ご住職にお話を伺っていると「とったり庄兵衛の子孫がいるよ」と教えていただいたのです!
「とったり庄兵衛」は、「逆井(さかさい)」という場所だけが出ているだけなので、庄兵衛さんの痕跡などは見つからないだろうと思っていたのですが、観音寺様の檀家さんにいらっしゃるトマト農家の方だと。
私はまた好奇心を抑えきれず、ズコズコとお話を聞きにいきました。(←おいおまえ、またかよ)
「とったり庄兵衛」の子孫 トマト農家の深野敏郎さん
ファッショントマトハウス深野
(写真©ファッショントマトハウス深野ホームページ)
40年以上トマト農家を営み、「ファッショントマトハウス深野」で今では地元でも全国的にも大人気のトマト「しあわせのトマト」を作り続けていらっしゃいます。
食べて思わず笑みが出る「しあわせのトマト」は地上波のテレビでも紹介され、遠く九州の福岡からわざわざ買いに来てくれた人もいるそうです!
トマト本来の酸味と甘みが絶妙なトマト!「土」と「気温」を徹底的に管理して、農薬や化学肥料は一切使わずに春~夏に収穫を迎えると地元、全国の有名シェフからも求められています。
深野俊郎さんは農家レジェンドの盟友でカリスマの人だった!
なんと、深野俊郎さん、前に私が「狐の嫁入り」で柏と農業を考えてお話を伺った株式会社染谷農場の染谷茂さんと同じ年で、数十年来の「親友」でした!
染谷さんと一緒に柏の農業を盛り上げながらも、ご自身の柏のトマトを試行錯誤して今の「しあわせのトマト」をブランド化したトマトのカリスマでもあります!
このお二人が親友としてつながっていたことに、私は勝手に「運命」を感じてしまいました。
トマトだけではない!深野さんのカリスマ性
ご先祖に「とったり庄兵衛」さんをもつ、深野俊郎さん。
そのカリスマ性は、トマトだけではありませんでした。
地元逆井で20年ほど、小中学校の子どもたちの為、学校の為にボランティア活動を推進してこられているのです。
逆井地区学校ボランティア「十色(といろ)咲かそう会」
十色(といろ)咲かそう会
2002年に発足したこのボランティア団体「十色(といろ)咲かそう会」は、発足当時から今も活動趣旨、活動理念は変わらず地域の子どもたち、学校の為にあくまで自主的に活動が行われているとのこと。
自分達が出来ることを自分たちなりに、やっていくために、会員からわずかな会費を募り、学校でのレクレーションの手伝い、読み聞かせ、花壇作りや整備、地域支援などを今もなお行っています。
その中の「読み聞かせ」では、自作の紙芝居を作成し、増尾・逆井地区に言い伝えられている「昔話」を語って聞かせて、もちろん「とったり庄兵衛」も伝えられています。
深野俊郎さんが初代会長になったころのお話
今でも会員として活動を続けていらっしゃいますが、発足当時の会長は深野俊郎さんがご担当されたのだそうです。
全く何の話も聞いてなかった深野さんは、ある日当時の学校の校長と地元PTAのOB達から呼び出され、このようなボランティアを立ち上げることを聞きます。
「ふーん。で?俺はなんで呼ばれたの?」と聞く深野さん。
「会長になってもらうからだよ」と。
「え!?聞いてないよ!」というやり取りで始まった「十色(といろ)咲かそう会」。
深野さんが引き受ける条件として言ったのは、
『やるからにはみんなが「自主的」「自発的」なものでなきゃやんねぇぞ』。
「とったり庄兵衛」感想
まさか、とったり庄兵衛の子孫の方がおられるとは思ってもみませんでしたが、その方が世紀を超えて、現代の地域のカリスマになっているなんて、素敵なお話ではないですか!
さすがに馬は捕まえてませんでしたが、トマトを栽培していらっしゃいました!
私はあまりのストーリー性、いろんな人の繋がりを感じて鳥肌が立ちました。
昔話に出てくる「とったり庄兵衛」さんも、地元に大きな貢献をされた人だけど、根は優しくて力持ちの働き者。
こつこつと美味しいトマトを作りながら、地域の為に出来ることを何十年もやってきた深野俊郎さん、同じ「血」を感じずにいられませんでした。
「とったり庄兵衛」最後に
またズコズコとお邪魔して地域のこんなカリスマなお方に話を聞けた私は本当に幸せ者だったのですが、法林寺様から観音寺様、観音寺様のご住職から聞いて深野さん、話しているうちに染谷農場の染谷茂さんへとつながっていきました。
とったり庄兵衛さんの子孫は、現在の逆井地区のカリスマだった!
これからもこの地に伝わる昔話を少しずつ追いながら、その場所やそこで今活動されてる方や、やさしい話、面白い話を発信していこうと思います。
深野俊郎さん、そして観音寺様、ありがとうございました。
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