ダイバーシティという言葉を私が初めて聞いたのが2008年頃だった気がします。
最初は、社内での女性の積極的な活躍、障がい者雇用などのことで、企業として取り組んでいかなければならないと分ってはいたものの、自分ごとにも考えられないし、そんな風に社会が変わっていってるのだな・・・とその程度でした。
最近になり、会社や社会を持続させていく為にも大切なことだと実感しています。
また、ダイバーシティを若いうちから真剣に考えて様々な人と関わっていくことで、自分の価値観や生き方、心の余裕も違ってくるんだと思い、多くの方特に若い方にもいろんなことを知って、考えてもらえたらいいなと思い記事にしたいと思います。
ダイバーシティとは
ダイバーシティとは、人の「多様性」を重んじて、それをそれぞれ貴重な「人材」として有効的に活用する考え方のことです。
元々は、女性や障がい者の方や外国人などの「就業機会」を促進する為の考え方で発進したようですが、現在では企業が多様な「人材」を受け入れて生産性を高めたり様々な価値観をやアイデアを産み出したりする重要な「人材戦略」の一つでもあります。
誤解してほしくないダイバーシティのこと
ダイバーシティは、企業として多様性を受け容れて・・・という観点から、子育てしながら働く女性や障がい者などを「守る」という観点ではありません。
単なる社会貢献だけや、慈善活動でもありません。
中には「会社がやってる偽善活動」なんて捉える方もいるようですが「否」です。
これは、企業が様々な人を採用して適所に配置することで当事者だけではなく、彼らの家族、そこで働く人たち皆を働きやすくし、風通りを良くする意味もあります。
現在多くの職場で進んでいる「働き方改革」とは切り離せない大切な一つなのです。
個人でダイバーシティを考える
個人で考える意味とは
会社や社会がやること、組織がやっていくことには違いはありませんが、これを進めていくうえで重要なのは、個人の理解になってきます。
では、「会社のダイバーシティ推進の為」と理解したらいいのね?
そうでもありません。
現代では、様々な考え方の人や、体や心に障がいを持つ人、ジェンダー問題や性的マイノリティーの認識など、自分とは違う人がたくさんいる中で人生を生きていくことになりますね。
少数と呼ばれる人であっても、自分に深く関わる機会があるかもしれませんし、友人に家族に、同僚に、お客様に、自分とは違う何かがある人と接する時には相手を理解して受け容れていきたいと思うのです。
自分と違うから「関係ない」と避けて通るのは、自分にもデメリットしかありません。
企業が「人材戦略」として考えているように、自分も多様な人と多くの関りをもっていくことで、楽しく人生が送れる気がするのです。
自分が苦境に立った時には、様々な人の価値観がヒントになったり、手を差し伸べてくれる人が傍にいるかもしれません。
人は一人では生きていけないと言いますが、少なくとも私は自分とは違う人でも、犯罪を犯すような悪い人でないなら、相手を理解するように努めます。
単に、色んな人と関わって生きていった方が楽しいってだけかもしれませんが。
個人で考えるジェンダー問題
男女の差によってやることが違う、女性だから家事をやる男性だから強くなくてはいけないなど、もう通用する時代ではありません。
女性でも職場の第一線でバリバリ活躍してる方もいますし、そんな女性の元で働くことも当たり前の世の中。
家事だって男女平等にやらないといけない時代なのに、恥ずかしながら私自身意識はあるものの、まだまだパートナーに甘えてしまっていて反省しています。
色んなことが起こる世の中、家庭でもいろんな苦境に合うこともあると思います。
旦那の稼ぎが悪いからとか(・・・こうはっきり言う方もいないと思いますが)、こんな視点で考えるよりも、どう分担すれば、効率的に余裕のある暮らしが出来るかを考えることが「打開策」になっていくのではないか。
男女、ジェンダーということではないかもしれませんが、身近なジェンダーも考えていくべきです。
会社で育児休暇を取りにくい男性もまだまだ多い世の中ですが、ここは自分も育児をやるんだという意識をもって、あとは会社の制度なり風土なりを変えていくしかありません。
個人で考える性的マイノリティー
LGBT等の性的指向や、トランスジェンダーという性自認については「正しい理解」が必要だと感じます。
身体の障がいは目に見えますが、このようなマイノリティーは目に見えず、大人になるまで家族にも言えずに抱え込んでしまう方も多いと聞きます。
「手を差し伸べる」ことではなく、「正しく理解」して、差別や偏見を持たないこと。
なぜ今LGBTやトランスジェンダーなどの性的マイノリティーの理解が必要なのか、目に見えないことだけに、自分とは無関係だと思っていても、親しくしてた人がそうだと分ったら?一緒に働いてる人がそうだったら、恋人が同性愛者だったら?
全く理解をしていない人がその事実が分かった時に、すぐに受け容れて理解をするのは難しく時間もかかり、お互いの時間が止まってしまいます。
そうならないためにも、正しい理解が必要なんだと感じるのです。
個人で考える多様性
多様性とは障がいを持つ方や文化の違う外国人もそうですが、こちらも実際に深く関わる方は少ないと思います。
障がい者への差別や外国人への差別は聞かなくなってきたものの、「関わらないこと」と「なくなった」ことは違います。
私は街で障がいを持った方を見かけるとよほど急いでない限り、少し注意して困っていることがないかを見ています。
ほとんどの方は慣れていてご自身でなんとかしているものの、やはりまだまだ街の中は完全なバリアフリーではないので、不便に感じてることが多いでしょう。
私も全くの素人ですし、すべての障がいのある方にどんな手を差し伸べたらいいのか分からないことも多いのですが、自分なりに出来ることだけをその場で手伝っています。
企業がダイバーシティを考え、人材戦略として障がい者を積極的に採用している今、私も仕事上でも多くの障がいをもつ方と働くことが出来ており、彼らとうまく連携して仕事の生産性を上げる為に工夫をしながらやっています。
「工夫」と書きましたが、これをすんなりとやるために、日々の生活でも意識して「こういう障がいの人にはどうやってコミュニケーションをとったらいいのか」「どんなことが困っているのか」を考えることが習慣になりました。
外国人についても、外国籍の方と仕事をしたり、今はなくても今後関わるかもしれないという思いで、語学を勉強し続けたり、国内にいながら外国の文化に触れる機会を作っています。
ダイバーシティを自分なりに「個人として」考える:まとめ
「多様性」と一言に言っても、たくさんの意味での「多様性」があります。
ダイバーシティは企業や社会の人材戦略かもしれませんが、その中で生活する私たち個人がそれを理解していかなければいけないと思います。
また、「多様な」人達との関りを楽しみながら歩んでいく人生や自分の周囲の人たちへの気配りや思いやりを大切にしたいこの頃を感じます。
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